古文書医学書●明治4年 銃創論 全 5丁 蘭疇先生口授 東京早稲田病院西塾謄写 原祐民温先生保管 230509 工場

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蘭疇先生とは、軍医頭松本良順のことです。戊辰戦争を幕府軍の医師として活躍された人物ですので戦争による銃創には詳しかったと思います。
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。
サイズは16.8×24.2×0.15㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケがあります。発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、歩兵頭格医師として幕府陸軍の軍医、次いで奥羽列藩同盟軍の軍医となり、会津戦争後、仙台にて降伏した。戦後一時投獄されるが、明治2年1869年赦免され、出獄後に東京の早稲田に西洋式病院の蘭疇院設立[1]。山縣有朋などの薦めで明治4年(1871年)に兵部省に出仕。松本 良順(まつもと りょうじゅん、1832年7月13日(天保3年6月16日)- 1907年(明治40年)3月12日)は、江戸時代末期(幕末)から明治期の日本の医師(御典医、軍医)、政治家。爵位は男爵。西洋医学所頭取、将軍侍医、幕府陸軍軍医、大日本帝国陸軍軍医総監(初代)、貴族院貴族院勅選議員などを務めた。父は佐倉藩藩医で順天堂を営む佐藤泰然。外務大臣の林董は実弟。幼名は佐藤順之助。後に幕医の松本良甫の養子となる。明治4年(1871年)に従五位に叙せられた後、順(じゅん)に改名した。号は蘭疇、楽痴。出典:ウィキペディア

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